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緊急提言1「健康を目指すことが人生の目的で何が悪い?」(問題提起1)

緊急提言1「健康を目指すことが人生の目的で何が悪い?」(問題提起1)



 人は必ず死にます。しかし死は決して怖くありません。私は死んだことはありませんが断言します。なぜなら、生まれる前の世界が怖くなかったからです。お母さんの子宮の中で胎児だった時をたまに覚えていらっしゃる方が登場しますが、母親の子宮の中でも怖くなかったし、親の精子と卵子が出会って自分が生命体になる前も絶対に怖くなかったはずです。死は、生まれる前の世界に戻るだけです。だから怖いはずがありません。

 こう言いますと「死の世界が怖くないのは分かりました。でも、死ぬ直前は絶対怖いはずだ。」と反論する人が出てきます。しかし、これも簡単で、怖いと思うから怖いのであって、怖くないと思えば怖くないのです。喩えて言えば「毎日眠りにつく時と同じ」です。誰でも眠りたい時になかなか眠れない経験がおありかと思います。しかし、気づいてみると朝だ、いつのまにか眠ってしまっていたようだ。ということは誰でも経験されていると思います。

 意識が無くなる直前、怖かったですか?人間は「いつの間にか意識を失い眠りにつき、そしていつの間にか意識が戻り、活動が始まっている」のです。「人生はこの繰り返し」なのです。そして、いつの日か必ず訪れるのが「意識が戻らないこと」、つまり「死」なのです。

 すると、ひとつの絶対的な現実がわかります。

 生きてこの世に生まれてくるのも、死んであの世に行くことも、「自分で決められないことなのだ」ということです。

 こう言いますとまた、必ず次のように反論する人が出てきます。「自分が生まれてくるのは自分では決められない、親が決めることは分かる。しかし死ぬのは自分で選択できる。自殺だ。」と言う人です。しかし、間違っています。自殺を実行しても意に反して死ねない人がたくさんいるではありませんか?逆に死にたくないと思っていても死ぬ人も多いのもこれもまた現実。生きることも、死ぬことも、自分では決められないのです。

 すなわち、「美しい死などと言うように、死は人生の目的にすることはできない」のです。

 それでは、「人は、何を目的に人生を歩めば良いのか?」という命題が生まれます。

 多くの人は、あっさりと返事をします。中でも一番多い答えが「仕事で成功してお金持ちになること」「有名人になること」「家族を幸せにすること」かと思います。そして、その目的の達成のために様々な願望を抱えることになります。「なので、良い学校に入りたいし、入れてあげたい」「なので、良い就職を実現したいし、実現させてやりたい」「なので、良い伴侶と巡り合いたいし、巡り合うように段取りしてあげたい」というように。

 私は思うのです。「人生の目的は人それぞれ。どんな目的でも良いし、そのための願望はどんなものでも良い」と。

 ここでまた、ひとつの絶対的な現実が判明します。すなわち、「人生の目的が何であろうと、その目的達成のための願望が何であろうと、人は一瞬一瞬が楽しくなるようなことを願っているのだ」ということです。逆に言えば「人は、生きている一瞬たりとも、不平不満が発生しない人生を望んでいるのだ」ということになります。簡潔に言い換えますと、「人は自分が楽しくなるような願望と行動を追求する生き物であり、それが正解なのだ」となります。違うでしょうか?

 今、ふたつの絶対的な現実が判明しましたので、ふたつを一つにまとめます。すると、こうなります。

 「人間よ、自分の意思にお構いなく自分以外の何かの力でこの世に生まれて来て、自分ではどうすることもできないが必ずや、やがては訪れる死ぬ時まで楽しさを追求して生き続けろ!」ということです。

 すると、ひとつの大事な疑問が湧いてきます。「楽しさを追求し続けるために大切なことは何なのか?」という疑問です。答えは「元気な魂(たましい)を持ち続けること」です。

 私は魂という言葉が好きなのでこう申し上げましたが、私の尊敬する故中村天風先生のおっしゃる「信念」に置き換えても良いかと思います。元気な魂は誰でも持つことができます。

 「健全な魂は健全なカラダに宿る」という言葉がありますが、ここでいうカラダとは、目に見える手や足や声などの物理的なものを言っているのではなく、物理的でない実体、「元気な魂」「元気な信念」を宿すことができる器を言います。「健康なカラダとは元気を出すことのできる器」を言っているのです。手や足がなくても元気な魂や信念を持っていれば健康といえるのです。では、手や足などの物理的に目に見えるカラダは何なのか?・・・・・それは「一種の単なる道具」と解釈しています。簡単です。パラリンピックなどで、目に見える器官を失ってまでも前向きに勝利を目指してスポーツする選手の感動的なシーンを誰でも見たことがあると思います。足が無いから腕が無いから健康ではないとは言えないのです。また、自分も言葉がしゃべれないのに、耳の聞こえない人に対して手話をする人を見たことがありませんか?物凄い感動的なシーンだと思いませんか?このふたつの例で共通していることは、「ふたりとも元気に生きている」「元気な魂を持っている」ということです。

 ここで次のことが分かります。元気な魂=信念を持ち続けるには「それを宿す器が必要だ」ということ、そして、「その器すなわち俗に言うカラダというものは元気な魂を発揮させるだけの器であることが必要だ」ということです。

 ほとんどの人が「永生きしたい」という願望を持っていると思います。そうです。せっかく頂いた生命、より永く使うことが、この世に生まれた人の義務です。宇宙から指示された義務なのです。前述のように、死は自分で決められるものではありません。したがって、「永生きしたい」という願望を達成するための目標を「〇〇歳まで生きたい」などとせず、「常に健康でありたい」と変えてみませんか?

 先述の物欲願望「金持ちになりたい」とか、精神的願望「家族を幸せにしたい」とか、どんな願望も健康という土台の上に成り立っています。健康追求とは「人生の楽しさを追求することと同じ意味」だったのです。

 健康を目指す。このことは、あなたの人生の全てを積極的な楽しいものにする大前提たる「人生の目的」なのです。

(緊急提言1終了・・・2へつづく)

緊急提言1「健康を目指すことが人生の目的で何が悪い?」(問題提起1)

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