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緊急提言7「栽培の理想は縄文時代、カロリー追求なら施肥栽培、化学肥料は点滴というイメージ」(問題提起3)

緊急提言7「栽培の理想は縄文時代、カロリー追求なら施肥栽培、化学肥料は点滴というイメージ」(問題提起3)



 前回までの3回の提言(提言4・5・6)は農薬から遠ざかろうということを申し上げました。今回は肥料の是非について問題提起をしたいと思います。「提案」ではありません。というのも、私の心の中で、肥料については農薬ほどの強い信念が確立されていないからです。あくまでも消費者の皆様方への問題提起というカタチでしか言及ができません。しかし、現時点でできる限りのコメントを発信したいと思います。お読みくださった消費者の方々のご意見をお聞かせくだされば幸いです。

 健康追求なら縄文時代・・・また別の回でも提言しますが、私は「現代日本の衛生状況と救急医療技術と解剖医学知識が縄文時代にあれば当時の縄文時代人の平均寿命は120歳」と考えます。衛生状況と救急医療技術と解剖医学知識という「長寿3大必要(私の造語)」がありさえすれば縄文時代は他には不要なものがないと思われるからです。一方、現代日本にはすでにこの「長寿3大必要」は揃っていますが、「長寿3大不要(私の造語)」もあるのでダメなのです。日本は世界一長寿の国だと威張っている人もいますが、「長寿3大不要」すなわち「短命3大要素」を排除すれば平均寿命はもっともっと延びると確信しています。

 「長寿3大不要」すなわち「短命3大要素」とは「戦争(殺人喧嘩)・事故・化学合成物質」です。現代は「長寿3大必要と3大不要」が入り交ざった社会です。この社会から不要なものを取り除くだけで平均寿命は大幅に改善されるのです。縄文時代には、「長寿3大必要」はなかったかもしれませんが少なくとも「長寿3大不要」のうち「化学合成物質だけはなかった」のです。戦争や事故はいつの時代にもつきものかと思いますが、少なくとも縄文時代の戦争や事故には化学合成爆弾や毒ガス兵器、化学合成物質のかたまり自動車はなかった。戦争や事故も縄文時代のそれはとてもかわいいモノだったに違いありません。

 戦争や事故の発生は自分の日頃の行いとは関係ない部分が大きいので、私たちが日ごろから気を付ければ排除できるのが化学合成物質です。化学合成物質は「衛生状況」と表裏一体です。たとえば化学合成せっけん。これは手を綺麗にしてくれる衛生上とても大事な化学合成物質です。一方、せっけんで手を洗うまでは良いのですが、その洗った水はどこへ行くのか?洗った水が人体の傷口や目に入ったらばい菌と化学合成物質をニンゲンの体内に入れることになってしまうのではないか?ということを考えなければいけません。それが例えば日本が世界に誇る下水道管理システムなど、衛生状況を改善してくれる社会インフラを高度化させてきたとも言えます。いわば、「ニンゲン社会は化学合成物質との闘いの歴史」なのです。

 簡潔に言えば、「現代日本に生きる我々が、長寿3大必要(衛生状況と救急医療技術と解剖医学知識)をひっさげて、ドラえもんの「どこでもドア」のようなものを使って、ポンっと縄文時代に飛び出して、周囲の縄文時代人とまったく同じように衣食住をこなしていれば120歳まで生きる」ということです。少なくとも、平成27年現在115歳とか116歳の方がご存命でありますが、このような年齢まで誰でも生きるのは普通となると思います。

 さて、いまは石鹸を例にとりましたが、わざわざ農作物に化学合成農薬を散布するとか、料理の際に化学合成食品添加物を入れるとかなどは愚かな行為です。わざわざ石鹸を食べるようなものです。吐きますよ。では、農作物に与える化学合成肥料はどうなのでしょうか?

   化学肥料は点滴液というイメージ・・・私は化学肥料の施肥とは、ニンゲンで言えば「栄養素と水分を点滴で与えられている状態」だと思っています。化学肥料は点滴液です。私は、点滴のポイントはあくまでも「緊急事態の処置法」だと思います。先ほど、「長寿3大必要」のひとつに「救急医療」と申し上げましたが、点滴も救急医療の一つだと思うのです。だから私は点滴を否定しません。私の家内も輸血と点滴で一命を取り留めたことなどもあり、点滴は素晴らしい救急医療だと感謝しています。

 しかし、世間には点滴依存症のひとがいます。私の友人にもひとりいました。「た」と過去形なのは「えっ?」という感じで突然死してしまったのです。私は、点滴は、ある意味「ミトコンドリアを驚かす一種の異物」だと思います。細胞のなかのミトコンドリアは「環境の急激な変化を嫌う」からです。点滴液はカラダの栄養素などを補強する救急医療液かもしれませんが、ミトコンドリアの呼吸作用の結果作られた栄養ではなく、外部から急激に供給される栄養なわけで、ミトコンドリアのストレスの一つであることは間違いありません。点滴を常用した場合、ミトコンドリアは自分に存在意義はないと認識し、アポトーシス(自然自己死)の道を選ぶのだと思います。

 これと同じで、化学肥料も点滴と同じように「緊急時に使うべきもの」と私は解釈しています。前回までに何回も申し上げていますが、ミトコンドリアは人間の細胞だけでなく、土の中の微生物(細菌や糸状菌)にも存在します。そもそも土中の微生物は土の中にもともとある無機物塩を植物に必要な栄養塩に変えたり、土中の有機物を食べて分解しこれもまた植物に必要な栄養塩にします。これを植物が吸収し育ち、子孫(種子)を残し、自分は枯れて再び土中の微生物の食べ物となる。この循環が「畑の生命循環システム」です。化学肥料は、この生命循環システムを乱します。さきほど、点滴依存症の友人が突然死した例を申し上げましたが、畑の土の場合、化学肥料施肥が常態化している土には「おしなべて微生物がいません」。土中の微生物の中にあるミトコンドリアがアポトーシス(細胞の自殺)を引き起こしてしまっているのです。要は学校の校庭の土のように生命の生きることのできない土に変化してしまっています。こんな畑の場合、もう、化学肥料を施肥し続けずにはいられない畑に変身してしまっているのです。

 そして、こういう化学肥料施肥常態化の畑には農薬散布も常態化することになります。理由は、化学肥料の中でも一番使用量が多いのが、窒素を補給する目的のものだからです。化学肥料施肥が常態化した畑の作物には、自分で消費しきれない窒素分が「硝酸態窒素」という形で残留します。こういう農作物は「苦い」「おいしくない」のです。一方、こういう硝酸態窒素たっぷりの野菜ほど害虫が大好きなのです。なので農薬散布をしてしまうという悪循環が起きます。言っておきますが、苦いし虫食い穴の多い農作物は「虫の食べ物であってニンゲンの食べ物ではありません」。虫食い穴はせいぜい作物全面積の5%未満でなければニンゲンの食べものとは言えないと思います。一方で、化学肥料施肥の農作物なのに虫食いがひとつもなければこれは間違いなく農薬使用量がバリバリかと思います。「虫の食べものも食べたくないし、農薬散布農作物も食べたくないですよね?」

 ですから、化学肥料はあくまでも緊急時用のモノだと私は思っています。

 そもそも有機肥料も含めた肥料は必要なのか?・・・この件では、弊社では肥料不施肥栽培よりもJAS規格に合格した有機肥料施肥を上位とするが、JAS規格に合格していない有機肥料よりはまったく施肥しない栽培を上位にランク付けしています。(弊社では農作物の「質的ランキング」をキッチリと開示するうえで、肥料に関し、JAS規格肥料施肥栽培をランク1にし、一切不施肥栽培をランク2、有機肥料のみの施肥栽培をランク3、有機肥料と化学肥料の併用または特殊肥料(有機肥料化学肥料混合肥料)の施肥栽培をランク4、化学肥料のみの施肥栽培をランク5、と位置付けています)。ですが、ランク1とランク2は逆転であるべきかどうかには今でも悩んでいます。

 細かいことは抜きにして言えることは、「TPPの時代、量で勝負しようとする日本の農家には肥料は必須、質で勝負しようとする農家には一切不要」。このことは弊社は断言できます。

 本来、畑は、先述のように「土壌と農作物の自然な生命循環システムのなかでできた農作物」がもっとも健康的であります。それは理想像です。別に肥料をやらなくとも、畑の土に従来から含まれる無機物塩であるとか農作物収穫後の自らの植物遺体などが土中微生物の栄養となり、土中微生物が大気中の窒素を土中に固定させたりその作物に必要な栄養塩を吐き出したりして、農作物と微生物の生命がバランスよく毎年繰り返されるという理想郷です。こういった畑を完成させている農家を私はたくさん知っていますし契約もしています。一方で、JAS規格に適合した有機肥料も捨てがたい。「JAS規格に適合している」とは、その肥料は化学肥料ではないし、有機肥料の場合でも、たとえば堆肥を作る場合、DNA組み換え技術作物や農薬使用栽培の稲わらなどが含まれていない餌で育った家畜の糞を元にした有機肥料であることなどがことが証明されていることを示します。なんともレベルが高い。日本では、家畜のエサのほとんどが輸入外国産であることが多く、その餌はDNA組み換え大豆やトウモロコシなどばかりと推測させるからです。こういうなか、JAS規格の有機肥料とは大変貴重であります。(DNA組み換え技術作物については別の回でも提言します)。JAS規格の肥料は立派な土中微生物のエサとなります。農作物を「太らす」という意味では、不施肥農法よりもJAS規格有機肥料施肥の方が太ります。農作物のカロリー総量という観点では施肥の方に軍配は上がります。しかし、施肥した時点で土壌と農作物の自然生命循環システムにニンゲンが介入してしまっていることも事実です。自然がお好きな方からは嫌われそうです。

 ところで、一般的には知られていませんが、日本ではキッチリ「肥料取締法」という法律が昭和25年5月に制定されています。第1条(目的)は、「第一条  この法律は、肥料の品質等を保全し、その公正な取引と安全な施用を確保するため、肥料の規格及び施用基準の公定、登録、検査等を行い、もつて農業生産力の維持増進に寄与するとともに、国民の健康の保護に資することを目的とする。」 です。ここで強調したいのは、農薬の時と同様「国民の健康の保護に資することを目的」とあるのは宜しいのですが、やはり「農業生産力の維持増進に寄与するとともに」の後ろである点が気になります。やはり生産者目線が消えないのが農水省による肥料取締り政策なのでしょう。

 ということは、ここでも一番大事なのが「消費者の目線」です。消費者の目線が農水省の肥料取締りを厳しくし、もって国民ひいてはご自分と家族の健康の保護に資するのです。

 本日は、化学肥料の是非とそもそも肥料自体の是非について言及致しました。まだまだ提案(ちなみに提案と提言は違います)とは言い切れないものがありますので「問題提起3」と致しましたが、消費者の皆さん、是非、農作物に関係する「肥料」について考えを深めてください。そして、その考えを是非弊社に語っていただけませんか?よろしくお願いいたします。

 次回は、さまざまな解釈がある「家庭菜園と自然農法」について提言します。

  (緊急提言7終了・・・8へつづく)

緊急提言7「栽培の理想は縄文時代、カロリー追求なら施肥栽培、化学肥料は点滴というイメージ」(問題提起3)

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